1964東京オリンピックの聖火コースが、4コースあったことは書きました。
でも当時の国立競技場の画像を見ると、最後は1つで、坂井義則さんがもってるじゃないの?
そうです。
ひとつにおマトメしているんです。
おマトメというと軽い感じがしますが、4つに分けた聖火を東京で1つに集めたんでんです。
皇居二重橋前で集火される前になにがあったのか
4コースに分れ、日本全国を巡ってきた聖火は、10月の7日から9日にかけて東京に到着します。
東京に集まってきた聖火は、10月9日の夜に行われた集火式において、皇居二重橋前の特設会場にて合体しました。
ここで、まとめたんですね。
で、翌朝の10月10日にそこを出発、何人かのランナーを経て、国立競技場への聖火台に点火されたんです。
ですが、じつは、聖火はこの集火式前に一度、別なところで4つ並んで安置されていたんです。
画像のココです。というか、ここにかつて安置されていたんです。
もう、今は消えてしまったその場所
そこは都庁です。
今の都庁ではありません。
1964年当時の都庁は丸の内、東京都千代田区丸の内三丁目あったんです。
そう、書類の提出とかも丸の内に行ってたんですよ。
お話戻しますと、東京都庁に到着した聖火は、まず、歓声とファンファーレでお出迎えされます。
次に火が消えないうちに、二階バルコニーにて都庁に安置するための聖火灯に移されました。
その聖火灯は、10月9日の夜のその時まで、東京都庁の都知事室に4つ並んで一時安置されていたんです。
かつての都庁であった場所は移転後、東京国際フォーラムになってます。
最近では、フリーマーケットでも有名になってますね。
理由は?聖火の東京到着が同じ日ではなかったためなのか
一時とはいえどうして、聖火が東京都庁の都知事室に置かれていたのか?
それは、やはり4つもコースがあったからではないでしょうか。
第2コースでは台風で一時中止になって走れなかったコース(兵庫県庁から大阪府庁まで)もありました。
そして、第1コースの聖火は、雨の中を走り、8日に東京都内に到着したものの23区内までは行けず、やっと10月9日の午後に都庁に到着したんです。
この夜に皇居前で集火式が行われます。
ギリギリですね。
皇居前での集火式に向かうため、もう一度、聖火は4つのトーチに戻され、皇居前の特設会場へ。
ここで聖火はひとつになりました。
翌日10日はすばらしい快晴となります。
このオリンピック開催式は、今でも映像や画像で見る事ができますよね。