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金栗四三 54年8ヶ月の記録とは?ストックホルム五輪マラソンの謎…

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日本の陸上競技において、「日本マラソンの父」「日本長距離界の父」と呼ばれる「いだてん金栗四三さん。「体力、気力、努力」という座右の銘を持ち、後にその言葉を刻んだ石銘も建てられています。

世界記録保持者であり、日本国内でも世界大会でも、陸上競技に多くの影響をあたえた金栗四三さんですが、なんと世界一遅いランナーでもあります。信じられますか?多分世界一遅いマラソンランナーなんですよ。

彼が打ち立てた記録の中で、もっとも面白く、もっとも哀しい記録、それがストックホルムオリンピックで記録された54年8ヶ月の最長マラソン記録です。なぜそんなことになってしまったのでしょうか?

イギリスのコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」でも「オリンピックかくれんぼ選手権」としてネタにされた都市伝説「消えた日本人」の顛末を調べてみました。

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【いだてん】金栗四三さんのざっくりプロフィール

金栗四三さんは、明治24年(1891年)8月20日に熊本県玉名郡の春富村(現在の和水町)で生まれました。「四三」という不思議なお名前は誕生当時のお父さまの年齢が43歳だったから。幼少の頃は大変体が弱いお子様だったようです。

熊本県の旧制熊本県立玉名中学校を卒業して、東京高等師範学校(現在の筑波大学)に進学しました。当時の東京高等師範学校の校長先生が嘉納治五郎さんでした。いだてんでは役所広司さんが演じていますね。

入学した翌年に、ストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場。当時の世界記録を大幅に更新する大記録を出して、日本人初のオリンピック選手に選ばれました。

ストックホルムオリンピックに出場するも、「いだてん」で描かれていたように、日射病(熱中症)により途中棄権となり帰国することになりました。次のオリンピックを目指すも、第一次大戦のためベルリンオリンピックは中止となります。

大正9年(1920年)のアントワープオリンピックに2回目の参加、しかし天候不良等が重なり結果は16位でした。4年後の大正13年(1924年)のパリオリンピックでも途中棄権となりました。このとき金栗四三さんは33歳でした。この後、ご自身のオリンピック出場はなくなりましたが、金栗四三さんはスポーツの振興に尽力していくのです。

金栗四三,オリンピック,ストックホルム,54年8ヶ月

NHK「いだてん」公式より

金栗四三さん ストックホルム五輪での結果は過酷すぎた

金栗四三さんが出場したストックホルム五輪マラソン競技の顛末は「いだてん」をご覧になった方はご存知ですね。結果は熱中症による途中棄権です。ではザックリと経緯をご説明します。

まず、競技前に様々なことが金栗四三さんの体力と気力を削っていきます

その1、母国日本からオリンピック開催国スウェーデンまでは、船に乗ってロシアに渡り、そこからシベリア鉄道で。トータル20日くらいかかりました。余りの辛さに金栗四三さんがギブアップを呟いたという過酷な旅でした。疲れ過ぎてアスリートが数日練習できないくらい疲れてしまいました。どんだけ、、、。

その2、到着したスウェーデンは季節的にほぼ白夜であったため夜が短く、白夜なにそれ?な日本人は睡眠不足になってしまいました。しかも滞在ホテルは線路沿いにあり、さらに睡眠不足に。さらにさらに、監督の大森兵蔵さんの持病が悪化して金栗四三さんが看病してました。

その3、北欧のスウェーデンに日本人の主食「お米」などあるはずもなく、たくさん持ってこられなかったこともあり、慣れない食事でテンション下がまくりました。

金栗四三,オリンピック,ストックホルム,54年8ヶ月

玉名市役所より・ストックホルムオリンピック入場

その4、マラソン競技の当日、金栗四三さんを迎えに来て競技場に送ってくれるはずの送迎車が来なかったので、競技場まで金栗四三さんが走っていかなければならなかったというアクシデントまで発生します。

その5、「いだてん」にもありましたが、ストックホルムの固い道路で足袋が破れてしまい、練習中にヒザを痛めてしまいます。

そして、最悪の事態を招いたのは、最高気温40°C超えたかも知れないという記録的な暑さ。当時のストックホルムの7月平均最高気温はだいたい22°C前後のはずだったのに、、、。当日は日陰にいても暑く、そんな中、午後2時くらいからマラソン競技スタートしちゃいました。

2020TOKYOでも、問題になってますよね。マラソン中の熱中症。

金栗四三,オリンピック,ストックホルム,54年8ヶ月

フランシスコ・ラザロ選手

まさしく当日は「記録的な暑さ」になりました。参加選手は68名、その中のおよそ半分にあたる34名が途中棄権してしまいます。

ドラマ「いだてん」では、暑さでふらふらになりコースを外れた金栗四三さんに「コースに戻れ!」と懸命に声かけするシーンがあったポルトガルの選手フランシスコ・ラザロさんは、翌朝、悲しい結果に。治療も虚しく故郷へは無言の帰宅となりました。

残念とか頑張れとか言ってる状況ではなく、これでよく完走できた方がいたものです。

金栗四三さんはどうなったのか?26.7km地点、分岐地点で間違えてコースアウトの「無念の棄権」、、、になるはずが、してません。金栗四三さん棄権してないんです。なぜ?

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金栗四三さん ストックホルム五輪で行方不明になった謎…

ストックホルムには都市伝説ともいうべき「消えた日本人」というお話があります。ストックホルム五輪の後、しばらくスウェーデンの方々のお茶飲み話になったのが「消えた」金栗四三さんだったのです。

熱中症で意識がなくなった金栗四三さんはコースアウトしていたこともあり、日本選手団によって発見されるたのは翌日でした。

金栗四三,オリンピック,ストックホルム,54年8ヶ月

玉名市役所より

失踪地点近くで応援のため沿道で待っていた日本公使館駐在の林中佐と欧州留学中の東京帝国大学の友枝助教授が、異変に気づき金栗四三さんを探し始めます。

発見されたのは、ご近所のお宅ペトレ家でした。その家の方に介抱されていた金栗四三さんを発見した林中佐と友枝助教授は、金栗四三さんを抱えて近くの駅から滞在ホテルへ帰ってしまいました。

この時よほど驚いたのでしょう、競技場へ戻ることが思い浮かばず、その為棄権申告もしなかったのです。こうして金栗四三さんはレース中に「失踪」し消えてしまった、、、ということになってしまったのです。

 

ストックホルム54年後のゴール!劇的な記録はなぜ出来たのか?

都市伝説となった「消えた日本人」。本当に存在したのかどうかスウェーデンの方も忘れていたのではないでしょうか。

あるときスウェーデンのオリンピック委員会は、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念して式典を開催しようと考えました。

そして過去の大会記録を調べていると、、、都市伝説「消えた日本人」が本当にあった事だとわかったのです。

どういうことかというと、日本選手団から金栗四三さんの棄権の意思がオリンピック委員会に申告されていないまま月日は流れーーてしまったので、大会記録を調べたその時点でも「競技中に失踪し行方不明」と書類上に記載されていたからです。

東京オリンピックもすでに終わった昭和42年(1967年)、スウェーデンのオリンピック委員会は、ストックホルムオリンピック記念式典を開催し、その式典に金栗四三さんを招待しようと企画します。

75歳になった金栗四三さんに、スウェーデン五輪委員会は招待状を送ります。

あなたは1912年7月14日、ストックホルムのオリンピックスタジアムをスタートしてより、一切の届出がなく、いまだに世界のどこかを走り続けているのでしょう。スウェーデンオリンピック委員会は、あなたに第5回オリンピック大会のマラソン競技を完走することを要請いたします。(日本語翻訳)

なんとも粋な文面ですね。こうして75歳になっていた金栗四三さんは、記念式典に参加し、長かったマラソン競技のゴールにたどり着くことになるのです。

金栗四三,オリンピック,ストックホルム,54年8ヶ月

玉名市役所より/54年後のゴール

金栗四三さんはストックホルムへ赴き、失踪したと思われる地点からオリンピックスタジアムへ向かいました。スタジアム内をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った時、場内アナウンスが流れました。

日本の金栗選手、ただいまゴールイン!タイムは、54年と8カ月6日5時間32分20秒3。これをもちまして第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了いたします。(日本語翻訳)

なんとも、また、心憎い演出です。その後インタビューを受けた金栗四三さんも、

長い道のりでした。この間に嫁をめとり、6人の子供と10人の孫に恵まれました

「消えた日本人」をみるためにオリンピックスタジアムに集まったスウェーデンの方々から、割れんばかりの拍手がおこり、賑やかに式典は終わりました。この模様は、スウェーデンのテレビで放送されたそうです。

マラソン記録最長の54年8カ月6日5時間32分20秒3は、きっと誰にもやぶられない記録ですね。金栗四三さん、凄いです。

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