お正月、元日、地方によって、しきたりや行事など様々ですよね。
最近でも、ふと疑問に思ってしまう事があるんです。
お屠蘇、おせち、お雑煮、これってどういう流れで頂くのが一番いいのでしょうか?
昭和の頃はどうしていたのだろうかと。
古式に乗っ取っていくと、元日はキッチンで刃物使えなかったり、お掃除しちゃいけなかったりしたんですよ。
そんなこともふくめて、昭和の頃のお正月を書いていこうと思います。
いつから始まる正月行事。地方やお家で違う新年のしきたり
地方やお家によって違う元日。
昭和の頃にあった元日の過ごし方を時系列で書いていこうと思います。
まず、髪結いや新しい肌着の用意、柳箸への名前書きなどは、31日までに済ませておく事が前提です。
お家によって多少違いは有りますが、おせち料理も31日の夕刻までには詰めておいて、神棚か恵方棚近く、年神様を迎える近くにお供えしておきます。
柳箸はおせちのお重とともに置くか、神棚にお供えしておくのかどちらかになると思います。
我が家は商家の流れなので、元日は刃物を使わず、掃除せず、買い物も一切してはいけない事になっていました。
現代では、お賽銭や寺社仏閣での飲食は別にしています。
このあたりは昭和の頃は普通にやっていた事でもあります。
もっと有名なお家となれば、お正月は家を出て、菩提寺に行き戻らない旧家もあります。
旧家や古い家系のお家では、一般庶民には「?」となるようなしきたりが多いですね。
東北ルーツの商家での元日行事を大まかに解説。
夜明け前、水を汲みます。若水です。
これでお雑煮を作ります。ですので、菜は切れないので前日に用意しておきます。
初日の出を見に行く者は出かけます。戻ってからおせち料理を頂くので帰りを待ちます。
新しい服に着替えた家族全員が集まり、神棚、仏壇へのお参り、新年の挨拶を行います。
睨み肴を前に、家長の酌で年少のものからお屠蘇を頂きます。
おせち料理をおろし、各人に家長より柳箸が渡されます。睨み肴は片付けます。
ここで関西では睨み鯛が置かれる様ですし、福茶が振る舞われるようです。
お雑煮が供されます。
一時、食事が終わった時点で年賀状を取りに行ったり、お年玉を渡したりを行います。
氏神さまにお参りに行くものは、この後、午前中に出かけます。
これからは時代が変わっても残していきたい行事です
これが、昭和の頃(中期)のお正月で、元日午前中にやることでした。
近頃、お正月の京都に旅行いっても晴れ着で歩く若い女性を見る事があまりなくなりました。
昭和の頃は、多くの方がお着物でお正月を過ごしていました。
すでに核家族となり、一族が集まることも、滅多に無くなりましたね。
それでも、おせち料理を囲んでお正月を過ごしてみてはいかがでしょうか。
言い忘れましたが、柳箸の袋に家族それぞれの名前を毛筆で書くのは、家長の重要な役目のひとつでした。
試してみてはいかがでしょう。