いまではポーンと時報がなれば、一日は終わり、新しい日になります。
大晦日のカウントダウンはまさいそれです。
毎年好例「ゆく年来る年」でも時報ともに日付が変わると、アナウンサーさんの声が一段明るくなるような気がします。
大晦日から元日に切り替わるのは、いったいいつなのか?
そしておせち料理を食べ始めるのはいつからなのか?
少々気になりませんか。
実は地方によって多少の違いがあるのです。
大晦日から元日に日付が変わるのはいつ?地方によって違う。
どうやら地方によって、この日付が変わる瞬間が違うということは本当にあるようです。
東北Y県の山岳部、その地方では12月31日の日没とともに元日になります。
「一日の終わり」という言葉を聞いた事がありますよね。
これは日没をもって一日が終わった古い時代の名残なのです。
そのまま、お節料理をいただきながら、家族で歳神様の来訪を待ちます。
それは、とても古い習慣です。
そこから時代が下り、ご存知の方も居るように江戸時代には、除夜の鐘が終わる頃に31日が終わるようになりました。
落語「言い訳座頭」のようにです。
この頃には時計があり、不定時法ではありますが、決まった時刻を刻み、鐘を打って周辺地域に時刻を知らせる事ができました。
このように地方や時代によって日付の切り替わりは徐々に変化していきました。
そして、今、日本全国をみてみると地方によって、おせち料理を食べ始める時間に違いが有る事がわかります。
おせちの蓋を開ける時間はなぜ違うのか、柳田先生に聞いてみよう
結論から書きますと、まだ、通信網が発達していない昔、都を中心とした習慣の伝播が有った事に由来します。
最新の流行は首都を中心に地方に伝播していったのです。
民俗学の権威、柳田國男先生が著した「蝸牛考(かぎゅうこう)」では、言語学において、カタツムリを日本各地ではどういう方言で呼ぶのかを調査し、都を中心に方言が周圏に広まっていく方言周圏論を提唱した著書です。
同様に言語にともなって習慣、文化も波及していきますから、都から離れた地方にはより古い習慣が残される事になりました。
それが地方によって元日になる時間が違ってくる理由なのです。
本当はもう少し複雑で入植の多かった地域や船舶での交易があるとまた違ってきます。
そのような要因があると波紋の様に均等に波及する事はなくなるからです。
おせち料理と一緒にお雑煮は食べなくていいのか?
これはあくまでも大晦日が終わる時間に関するお話です。
お雑煮はどうなっているのかと疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。
現代のお正月の元日には、おせち料理とお雑煮がかかせません。
お雑煮は日が昇ってからいただくのが、全国の共通のようですね。
太陽が昇る前に若水を汲み、ご来光を拝んでからの行事になるからが理由のようです。
この他にも、お雑煮にはお餅が付きものという理由もあると考えられます。
庶民がお餅を食べられるようになったのは、随分時代が下ってからです。
ですからから、おせち料理とお雑煮は発生した時代と背景が、すこし違うと考えられています。