外国人なのに伝統的な庭師という職業を選び、帰化した時に日本名を名乗った村雨辰剛さん。
このかっこいい名前は誰が命名したのでしょうか。
そして、庭師村雨辰剛さんの本名は何だったのでしょう。
名前の由来や帰化する前の国籍を調べてみました。
青い目の庭師村雨辰剛さん、本名と出身国は
村雨辰剛さんのご本名はヤコブ・セバスティアン・ビヨークさんとおっしゃいます。1988年7月25日生まれの30歳で、出身国は北欧の国スウェーデンです。
スウェーデンといえば、北欧バルト3国のひとつで国王が国をおさめている王国です。大きさも日本全土にもう一個北海道をプラスしたくらいだといいます。けっこう広いですね。
「ベルサイユのばら」ファンの私としては、スウェーデン王国は愛に生きたハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵の国というのが真っ先に思い浮かびます。普通はノーベル賞が思い浮かぶかもしれません。
現在は厳しい修行を経て、イケメン庭師としてお仕事をなさっています。そして筋肉トリオの一人として紅白にも出場したタレントでもあります。
ちゃんと外国人タレントの芸能事務所の株式会社ワイエムエヌに所属しています。
身長は182cm。スリーサイズは、B101 / W78 / H96、これは恐るべし筋肉ということですね。趣味は盆栽と筋トレだそうです。
盆栽とか今時日本人でもやらないですよね。私が知ってる盆栽やってる日本人って磯野波平さんくらいですよ。
帰化した時の名前を村雨辰剛にした理由
スウェーデン王国生まれのヤコブ・セバスティアン・ビヨークさんが、なぜ「村雨辰剛むらさめたつまさ」という戦国武将にいそうな名前にしたのでしょうか?
「村雨辰剛むらさめたつまさ」は、ビヨークさんが日本国籍を取得して、帰化した時に新しく名乗った日本名です。名前の由来は、どんなことだったのでしょうか。
ビヨークさんは帰化する時に、庭師の親方に命名して欲しいとお願いしたそうですが、「荷が重い」と言って辞退されてしまったそうです。だとすると、ご自分で「村雨辰剛むらさめたつまさ」という名前を考えたということですね。
調べた結果。
まず、名字に選択した「村雨」ですが、これには2つ理由がありました。
尊敬する庭師の親方のお父様が、村雨さんというお名前だったそうです。お父様かっこいいですね。
ビヨークさん自身も「作家のような名前でかっこよかったのでこれにしよう」と思ったのだそうです。また、村雨と言えば江戸時代後期の大長編読本「南総里見八犬伝」に出てくる村雨丸(むらさめまる)とも呼ばれる架空の日本刀の名前でもあります。「南総里見八犬伝」の中で女装の美犬士犬塚信乃の使う宝刀が村雨なんですよね。
では、名前の方はどんな理由でつけられたのでしょうか?
名前の辰剛の辰は、ご自身が辰年生まれということで、辰の字を使おうと考えたのだそうです。1988年って辰年なんですね。平成元年が巳年だから、昭和63年は辰年ですね。
そして名前の辰剛の剛は、親方のお名前から一字頂いたそうです。親方の事本当に尊敬しているんですね。あ、承諾は得てなくて勝手に使ったそうです。
村雨辰剛さんが帰化した事への海外反応が酷い
村雨辰剛さんが帰化した事への海外ネットの反応を覗いてみたのですが、ちょっと酷い発言が多かったです。
日本人ってさ、こういう妙な「ガイジン」ウケるよね
どうせ日本人にとっては「ガイジン」さ
いかにも西洋人って感じで日本人のフリしてる など
なぜなんだーーーこのバッシング?なぜですか?いつも「やっぱり日本」「行きたいね日本」「only in japan」とか盛り上がってる人達と同じ方々ですか?どうしてしまったんですか。村雨辰剛さんがなにかしましたか。
答えは何人かの方が書き込んでいました。
日本のパスポートを手に入れた彼は日本人
ここは嫉妬する人間のコメントだらけだな
日本で成功してしまった村雨辰剛さんに対する嫉妬だという事と村雨辰剛さんを擁護する書き込みがありました。
何とも悲しいですが、アジアのネットでは概ね好意的な反応だったので、欧米の反応はちょっとビックリしました。
では、青い目の庭師は日本人なのでしょうか?
村雨辰剛さんは、長年辛抱強く修行して、タレント活動している今もそんなに豪奢な暮らしをしているようには見えません。
それでも、抹茶をのみ、一年の最後の仕事は門松たてることで、どんなに高い樹の剪定も一所懸命にやり、盆栽のほかに生け花も習い、大河ドラマを見て、一番好きな時代は戦国時代で、武田信玄に憧れ、上杉謙信の逸話に泣き、着物が好きで、着物を着たいから落語に出かけたり、演歌が大好きだったり、そんなひとは、確実に日本人だと思います。